4歳から始める中学受験

キッズデュオインターナショナル(Kids Duo International)に関連したあれこれはTwitter(@ganetter365)で呟いています。

不登校は子どもが選んだ進路の1つだという話

皆様こんばんわ

 

今回は「子どもの不登校を歓迎する」という話ですがその前に定期的に更新していたはずがいつしか滞っているAmazonでの奮闘日記です。決して挑戦を辞めたわけではありません。年をまたいで節目と思いきや昨年3月から始めた活動なので年間での成果とすると対象が10カ月程度しかないのでパッとせず、なんだかまとめる気になりません。

 

そんな小売業の真似事活動の収支は確定申告後に税金が徴収されてみないと正確には分からないところですが、かなり適当なざっくり計算によると時給は3,000円くらいまで到達したような気がします。

 

年金や社会保険料を支払った後の額である会社員の手取りと比較することはかなり不適切ですが、その点を気にせず副業をひいき目に見たとしてもKDIに通う世帯を支えるパパ勢からすると時給3,000円という数字は年間2,000時間働いても年間手取り600万にしかならず魅力に感じないでしょう。

 

どうすればこの時給を向上させることが出来るかと考えると、よりリスクを負ってみたりいろいろと方法はある気がします。ですが一番簡単なのはより多くの時間を投入すること、だと感じています。時間を投入すると何故か総収入と共に時給まで向上します。

 

やりたいこと、やるべきことは山ほどあり、でも仕事と家庭と副業の3本足打法はとにかく時間が足りません。じゃあ仕事を辞める気があるかと言えばそんなはずはなく、せいぜい会社が潰れたら自分で頑張ろうかなという程度です。当然リスクまみれですが、外的要因で会社を辞めざる負えなくなった時の方が収入は増える気もします。

 

そんなことをある程度の期間やってきた今、ありとあらゆる著名人や偉人、自己啓発本などに書いてあるであろう「行動力こそ全て」という言葉から常に追い回されています。誰もが胡散臭く思うことでしょう。何をやればいいかを教えろよ!と思うことでしょう。でもこの「行動力こそ全て」は正しいと心からそう思います。更に欲を言えば行動力と共に「好きな事」があるとより一層良いと思います。

 

「行動力」と「好きな事」が有りさえすればどうにでもなる世界だと思うようになった私ですが、この思想は「中学受験」を目指す方針と致命的なまでに矛盾してしまいます。中学受験をして高校・大学と学歴を築いて優良企業に属したり、医者でも弁護士でも好きなように高学歴だからこそ実現できる職に就く。これが受験界隈の親が目指す基本姿勢だと思います。

 

ですが10歳から中学受験対策を始めて最終学的の大卒22歳まで既定路線を歩んで頑張ったとしても、この12年間「好きな事」を「行動力」を通じて我が道を突き進んだ人に勝てる要素は「教養」と「学歴」くらいなもので、人生において最も重要であろう「楽しさ」や「幸福度」で到底及ばない気がしてなりません。

 

そんな時、およそまともな親とは言えない考えが頭をよぎります。

 

もし子どもが「学校へ行きたくない」と言ってきたら。もしそんなことを言われた時、親としては心配で辛く悲しい思いをするのが当然でしょう。子どもの先々のことを考えたりすると不安な気持ちにもなるでしょう。

 

ですが今の社会を幸せに生きる上で、分数の割り算も三角関数微積ラプラス変換も必要なく、必要なのは「好きな事」と「行動力」だと確信してしまっているがゆえに、もし子どもから学校へ行きたくないと聞いてしまったら、

 

「よくぞ言ってくれた」

 

と思う気がしてなりません。妻には申し訳ない限りですが、子どもと一緒に何をやろうかとワクワクして仕方がないだろうと思います。

 

学校で学ぶ内容に不必要なこと多い一方、もちろん常識として必要な事もたくさんあると思います。それらは学校へ行かないとなればある程度家庭学習をする必要があると思いますが、親が教えられない程の高等な内容であるはずもなく、むしろ家で親が教えた方が学校で皆一様にペースを合わせて学ぶより遥かに効率よく学べることでしょう。

 

それを踏まえると、私が学校に求める唯一の要素は「友達を作ること」以外にありません。

 

もちろん親からすれば教育を受けさせる義務がある点や毎日家に居られても困るから学校に行って欲しいと思うのも当たり前です。ですが子どもが学校へ行きたくないと思う要因が「勉強が嫌だから」であるはずはなく、結局は人間関係であるとすればそれは学校が友達を作る環境として本人に合わなかったということで、家庭学習が出来る親子関係が前提にあれば学校へ通い続ける意味は個人的にはもうゼロです。

 

中学受験を頑張ってより魅力的な人が多く集まる環境に属して、大人になっても会って楽しいと思える友達を見つけて欲しいと思っていることは事実です。ですが本人にとって学校が友達を作る場として不適切だとなれば、ネットコミュニティが無数にある今の時代において学校に通うことだけが友達を作る方法ではありません。

 

そこで必要になるのが「好きな事」だと思います。「youtubeTikTokを見ることが好き」は「好きな事」には該当しません。虫でも植物でも電車でも絵でもプログラミンでも何でも構わないので好きな事を突き詰めたところには必ずそこ独自のコミュニティがあるはずです。住んでいる場所が近い以外の共通点がない有象無象が集まった学校よりも遥かに気の合う人を見つけやすいと思います。

 

後はその好きな事をマネタイズする施策を「行動力」で実行するだけです。

 

理系大学においてプログラミングを学ぶ学生は多くいると思いますが、仮に10歳から学校にも行かずに楽しくてプログラミングしかやってこなかった人がいたとしたら、よほどの天才でもない限り叶うはずがありません。学卒の子には就職の際に有利な「学歴」がありますが、学校へ行かずプログラミングしかやってこなかった子が同じく大卒となる22歳になった時、もう既に就職するよりも遥かに稼ぐ力を身に着けているとしか思えません。

 

何もする気力もなければやりたいことも何もない。ただ何もしたくないから学校へも行きたくない。なんなら親と話すのも嫌だ。となればもう手の付けようがないかも知れません。ですが子どもと関係が良好でありさえすれば一緒にいろんなことに挑戦をして、何事もやってみる行動力の大切さを教え、その過程で好きな事が見つかればいいわけです。

 

と、散々書いておきながら結局は学校へは楽しく通って中学受験に挑戦して欲しいと思っています。進学する中で好きな事、なりたい自分を見つけてもらうのが一番だと思っているので夫婦共に全力でそのサポートをするつもりです。

 

世の中には子どもの不登校で悩んでいる人がいると思うので不謹慎かも知れませんが、私はそんなことで悩むつもりは一切無く、「不登校は子どもが選んだ進路の1つ」として明るい未来が待っていると思っています。

年末年始に考える親子関係

皆様こんばんわ

 

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 

昨年の大晦日から今年の三が日全て仕事だったので私は帰省をしませんでした。が、元日に妻が子ども3人を連れて私の実家に行ってくれたおかげで、私は何もせずに孫の顔を親に見せることが出来ました。保身になりますが、私からは子どもを連れて行ってくれるよう頼んだりはせず、むしろ今年は帰省は無しの方向で、という話をしていたはずです。

 

SNSでは毎年年末になると「男は酒を飲み、女は家事手伝いをさせられて」「義理の実家に帰省するのが憂鬱」と言った話をよく目にします。そんな中、姑と個人的に連絡を取る程仲が良いわけでもなく、会うのは年始だけの妻が単身で義理の実家に突撃するのは変なんじゃないかと思い、職場でそんな話をしてみるとやはり自分がいないのに自分の実家に帰省はありえないと満場一致でした。

 

私は結婚当初から、将来は年末年始に自分の子供たちと孫みんなで写真を撮り、その真ん中に妻と2人で座っていたいと思っています。そのために必要だろうと考えられる条件が何個かあり、それを叶えるためにはこういうことをしなければいけないだろう、と。そういった話も妻にしています。

 

その要件の一つに「実家に帰省したいと子ども夫婦が思えること」というのが当然ですがあります。私がこの要件を自分ー子どもの間で満たしたいわけですが、今年の妻の身の振りを思えば親ー自分の間ではすでに要件を満たしている気がします。

 

妻が私の実家に帰省することのハードルが低い理由は何なのか。個人間の相性などというどうにもできないことは考えず、構造的にその理由を明確にすれば、自分の子どもも実家に気軽に帰省してくれるはずです。最終的に至った結論から言うと「マザコンは百害あって一利無し」ということです。

 

まずSNSで見受けられるネガティブ要素の代表例が前述の通り「男ばかり好き放題している」という風潮です。私は男3人兄弟の次男なので、こういった風潮があるとすれば帰りたくない義理実家の代表例となりそうな気がします。

 

ですが私たち兄弟は酔うほど酒を飲むことは無く、育った家庭環境的に諸々の家事を手伝うのが当たり前と思っているので、料理や飲み物が出そろうのを待っているのではなく、むしろ用意が出来るまで誰も落ち着いて座っていられないまであります。

 

よく「妻が立っている間は夫も座ってはいけない」と言いますが、これは夫婦間の話だけではなく、子どもの帰省のハードルを下げる一因になるのではないかと。

 

次に「宿泊は大変」と言うことです。私は実家まで車で30分、妻の実家まで15分のところに住んでいて、帰省という概念が一般と異なる可能性もありますが、帰省=日帰りが当たり前です。元日に2軒1日で周ることも簡単です。

 

子どもを連れた宿泊がどれほど大変なことか誰もが知っていることでしょう。もし家から実家までの距離が遠ければ宿泊もやむなしということにもなりかねません。だから私は子どもたちが宿泊せずに帰省出来る確率を高めるために、可能な限り日本の真ん中あたりに住んでいなければなりません。

 

つまり東京です。もちろん子どもが地方に住んでしまえばどうしようもありませんが、確率で言えば東京で仕事をしている可能性が最も高い、よって実家は東京が最強です。残念ながら東京ではなく隣接県に家を建ててしまいましたが、来客用の布団を常備しないなど泊まれない環境にしておくことで帰ってくれるでしょう。

 

「泊まらなくていい」

「家事を手伝ったり飲んだくれた男どもを見なくていい」

 

こう聞くとなんか良い感じになって来た気がします。ですが結局最も必要なのは「子どもの結婚相手を客人としてもてなす気概があるか否か」なんだろうと思います。私の実家で言えば、私の妻と子どもはもてなす対象であり、何かを手伝わせるなどと言うことは当然ありません。私もそれなりにやることをやりますが、私すら実家に帰ればもてなされる対象です。

 

もし仮に私が未だに親の言うことを聞いて物事を決めるようなマザコン夫だったとしたら、親子関係を強弱で表すのはかなり不適切だと思いますが、自分<親の関係性であれば、妻=自分<親となり妻がそのように扱われることはないと思います。我が家においては自分>親であり、妻も当然それに胡坐をかいた態度を取るようなことはないので、特に明確な理由は無くとも実家との関係性は適切な距離感で良好な気がします。

 

よって義理の実家に帰りたくないと思う女性の多くは「夫がマザコンである」か、単純に遠くて面倒なんだろうと勝手に結論付けるとすると、これに該当する人の割合はそこまで多いとは思えないことから、義理の実家への帰省が嫌な人はそこまで多いわけではなく、やはりSNSは少数派の大きな声が多数派の意見のように見えてしまいがちなんだろうと思います。

 

私が目指す「帰省してくれる実家」には子どもを子どもとしてではなく、一人の立派な大人として認め、対等もしくはそれ以上と考え、その子ども一家は同等に扱う心構えが必要不可欠である、と。そんなことを妻の行動から考えされられた元日でした。

小学生低学年向けの習い事について

皆様こんばんわ

 

先日、KDI卒園後の選択肢となるであろう、やる気スイッチグループ系列の各種ブランドについて説明会がありました。今回はその話を聞いて私が思ったことを簡単にまとめて行きたいと思います。後日youtubeでも見れるようになるとのことだったので、詳しくはそれを見て頂くのが早いかと思います。

 

まず初めにKDIで行っていた「知育・忍者・英語」の3つの柱に対して、それぞれの延長線上となるブランドがあり、

 

知育は「チャイルド・アイズ」「HALLO」

忍者は「忍者ナイン」

英語は「Kids Duo」「Kids Duo Advanced」「Winbe」

 

以上のようになります。

 

No.1「チャイルド・アイズ」

チャイルドアイズは中学受験を視野に入れた思考力、その思考を書き出して相手に伝える表現力、最後までやり切る力を養うことを主題としており、説明会では立方体を積み重ねて表面積を求める問題を例に、如何に思考力が中学受験に繋がるかを説明していました。

 

また、KDIでも同様に思考力を身に着ける知育の授業を行ってきたにも関わらず、卒園後に「とにかく計算問題をたくさんやる」という方針に切り替わってしまう家庭が多いことを嘆いておりました。具体的な言及はしていませんでしたが、あれはまず間違いなく公文のことを言っていたと思います。

 

説明全体を通しては納得する部分が多く、中学受験を目指すけれど小学生低学年のうちからSAPIXに放り込むのは気が引けるという人には良い選択肢であるように思いましたが、中学受験を語るのであれば小学生高学年以降はどういう方針なのか、という普通に考えれば誰でも気になりそうなことへの言及がなかったので、気になる人は各自お問い合わせが必要になる気がします。

 

 

No.2「HALLO」

HALLOはいわゆるプログラミング教室です。これまでプログラミング教室というものを全く検討してこなかったので、他のプログラミング教室と何が違うのかさっぱり分かりませんでしたが、恐らくプログラミングを通して論理的思考や問題解決力を身に着けようという方針はどこも一緒だと思います。

 

当たり前かも知れませんがプログラマー育成施設ではなく、あくまで中学受験を戦う上で必要となるであろうスキルアップを目指しているわけですが、私も妻も大学時代にプログラミングが必修科目に設定されていて嫌な思い出しかないので到底前向きにはなれません。

 

他のプログラミング教室との明確な差別化は伝わって来ませんでしたが、やる気スイッチグループが好きな方が選ぶとすればHALLOになるのかも知れません。

 

 

No.3「忍者ナイン」

KDIの忍者クラスでも様々な運動をしていますが、引き続き1つのスポーツに絞ることなく様々なスポーツに取り組み、最終的に最も適正があるであろう種目を見つけると言った方向性で、これをなんと定義していいのか分からないブランドでした。

 

その一芸で食っていくわけではないにせよ、いろんなスポーツを体験してその中で得意なスポーツを見つけ、将来的に趣味にしてくれたらいいなーとは誰もが思うところで、とりあえず他に通わせたい習い事が無い人には、子どもも勉強系の習い事よりは楽しく通ってくれそうで良いのではないでしょうか。

 

 

No.4「Kids Duo」

これが最もKDIの環境の延長となるであろう英語を主とした学童保育です。KDIと同様にネイティブのいる環境に長時間いることで自然と英語力の向上が期待できます、という説明するまでもない内容だった気がします。

 

説明会では実際にKids Duoに通っている女の子が登場してお話されていましたが、よくよく聞くとKids Duoに週2回、KDAに週1回通っているとのことで、それはKids Duoのロールモデルとして紹介していいのか?という疑問が。

 

今回の6ブランドの中でこのKids Duoだけはよく調べましたが、問題はそのコストです。もちろん普通の学童よりネイティブがいる環境の方が良いに決まっています。ですが、KDIとは異なって学年が混ざっていたり、決して英語教育に力を入れていた幼稚園を経てきたわけではない子も混在する中で、コストに見合っているのかが分かりません。

 

ご検討の場合は資料請求を行うと、通常時の預かり時間及び料金の他、夏休み期間にどういう形態になるのか説明が書かれていますが、フルタイム共働きでは送迎問題と料金問題どちらもネックになりうるハードルの高さをしています。

 

 

No.5「Kids Duo Advanced」

説明が全て英語で日本語字幕を追うのに大変でした。英語で様々なテーマでディスカッションをしたり、テキストを使って英語を学んでいくのがこのKDAです。幼少期に身に着けた「流暢さ」は1年何もしなければ失われる、ということで、それすなわち6年間通い続けることに意味があるよ、という意図を感じて、英語力向上をメインテーマとする人には良い気がしました。

 

一方で帰国子女向けであったり、英検2~3級相当の英語力を入会の条件としているような同様の英語教室は他にもあり、「少人数でネイティブとディスカッション」というどこでもあるスタイルで差別化はどこなのかイマイチ分かりませんでしたが、これもやはりやる気スイッチグループを信頼しての選択になるのかも知れません。

 

 

No.6「Winbe」

この辺になるともう聞くのに疲れてきておりイマイチ記憶に残っていませんが、フォニックスや単語、フレーズも教えてくれる英会話教室と言った感じです。何故か教材にはサンリオの教材が使われているということです。

 

KDAは英語教室、WinBeは英会話教室、と言った感じで、ごりごりにやりたいならKDA、英語エンジョイ勢はWinBe、のような雰囲気を感じました。あくまで個人の感想です。

 

 

全体を通して私が思うことは、「何を目標としているのか」がイマイチだった気がします。しかしそもそも習い事はそういうものかも知れません。ヤマハ音楽教室に通って、各家庭で到達目標はあれどヤマハ音楽教室側が明確にいつまでに何を、と目標設定をしてくれるわけではないでしょう。

 

ですが中学受験を視野に入れている場合、何かを目標とはしていないけれど小学校6年間楽しく習い事に通ってそれでOK♪というわけにはいきません。今回は小学生低学年向けの、という説明会だったので、「低学年のうちはこういう内容、こういう方針で。高学年ではこれこれこうで、最終的にこういう力を身に着けることを目指している」と長期目線での方針を語ってくれた方が選びやすい気がします。

 

 

以上!

2024年、年収1,000万円計画

皆様こんばんわ

 

我が家が現在取り組む2大プロジェクトは「英語力の維持」と「中学受験」です。これらに紐づく案件以外にもいろいろと課題に取り組んではいますが、この2つに比べると優先順位がどうしても下がります。

 

そんな中、私が個人的に妻と子への負担をなるべく軽減しつつ達成したい目標、それが「2024年、年収1,000万円計画」です。

 

私は2021年をピークにここ2年間、年収が右肩下がりとなっています。主な理由は育休取得によるものなわけですが、今のところ2024年は1月から12月まで全て働く気持ちでいます。つまりいくら勤務態度が不真面目で、ほぼ経年による昇給しかなかったとしても、2024年が私の人生最高年収を叩き出すことが出来るはずです。

 

この2024年、私は35歳を迎えるわけですが、子ども手当の所得制限が撤廃される予定のこの記念すべき年に、私も年収1,000万円という大台に達してみたいと思ったわけです。これで私もKDIに子を通わせるパパのマジョリティー層に仲間入りです。

 

さて、問題なのはどのようにして年収1,000万円を達成するかです。ちなみにピークだった2021年は年収が約800万円でした。2年前と比較して200万円も多く稼がなければいけません。

 

地道に成果を積み重ねて高評価をもらう?ビッグディールを決めて賞与で達成?いいえ、残業です。残業だけが即効性を持った年収増加の最短方法であり、この残業で全てを解決する作戦しか私にはありません。

 

とにかく年明けから2月まで効率よく残業&休日出勤をした後、社会保険料の増加を恐れて3~5月はピタッと働くのをやめ、想像を絶するバタバタ劇が想定される新年度を乗り切ります。6~9月の夏季シーズンは暑さで年収1,000万円などどうでもよくなっていそうなので有休を消費しつつ乗り越え、10~12月をひたすら働きます。これで残業月45時間以上の月が1,2,10,11,12月と5か月で収まり、社会保険料・家庭・暑さ全てを考慮した完璧な作戦の完成です。

 

ここまで年間通しての大まかな立ち振る舞いを書いてみると、たったこれだけで2021年比200万円も多く稼げている気が全くしませんが何とかなるでしょう。

 

これでようやく私もTwitterでよく見かける「年収1,000万円で生活に余裕がない」などと戯けたことを呟くお花畑層に仲間入り予定です。

小学1年生からの身の振り

皆様こんばんわ

 

先日、長女が受けた全国統一小学生テストの結果が帰って来ました。結果、ミクロで見れば得意不得意が出たようですが、マクロ的に言えば可もなく不可もなくと言ったところでした。

 

しかし今回の話題はその結果ではなく、その後の某塾の方との面談で妻が聞いてきた話と、それを踏まえた我が家の身の振りについてです。よって今回は小学生以降の英語力をどう維持しようか、という話ではなく、中学受験に向けて小学1年生からどうするべきなのか、という話です。

 

まずこの面談で得た私が知らなかった事柄は次の通りです。

 

・小学3年の夏頃から本格的に先取り学習&中学受験対策が始まる。

・小学1年生から塾に通って得られる主たるものは「勉強の習慣」

・小学3年生までの学校の授業の内容を十分理解していることが受験の最低条件

 

私は、中学受験に向けて各社それぞれ小学1年生からカリキュラムが組まれているもんだと思っていました。と言うか早期に囲い込み、長い間通ってもらった方が塾として儲かり、進学実績も作れるので誰もがそう思うと思います。

 

しかし実際は、小学3年生の夏頃からが本格的なスタートとのことで、小学1年生から通うことも出来るものの、熱心な勧誘はなかったようです。そして何より、それによって得られる主たるものは「勉強の習慣」であると。そう聞いてしまうともう小学1年生からの通塾は選択肢から外れました。

 

前述のような勘違いをしていたので、私は中学受験の参入にはさぞかし高いハードルがあるんだろうと思っていました。しかし小学校で習う内容を、理解の深さにこそ差はあれど、ちゃんと理解していれば中学受験の門戸を叩くことは可能だとのことです。私も妻も小学生の学習内容で苦労した経験はないので、参入ハードルの高さは足首くらいまで低くなりました。

 

しかし当然のことながら勉強の習慣が身についていることは大前提のようです。長女は1年以上前からほぼ毎日何かしらの勉強に取り組んでいるので、これを継続していけば問題ないように思います。

 

また単に授業の内容を理解してテストで満点を取れるだけではなく、もう一歩踏み込んだ理解も必要なようです。英語に多くの時間を割くことになりそうですが、現在の七田式プリントの延長で国語と算数について何かしらの教材を用意した方がよさそうと言うのが夫婦一致の見解でした。

 

何はともあれ、必ずしも小学1年生から塾に通う必要はないことが分かり、受験のスタートラインに立つために「最低限取り組むべき事柄」も大体決まったように思います。一方で下の子2人を踏まえた家庭学習体制作りや英語との両立を目指した方針、その他習い事関連を仕事と両立していくことを考えると、来年も忙しくなりそうです。

長男の個性を何とかしたい

皆様こんばんわ

 

長男は来月4歳を迎えます。「4歳から始める中学受験」は姉である長女の4歳から、という意味でした。教育関係は一人目の子どもにいろいろと傾倒してしまいがちですが、子どもたちに対して教育格差を可能な限り設けないことを方針としているので、長女のことばかりを考えているわけにはいきません。

 

2人は当然姉弟なので似ているところもありますが、同じ親から生まれたのにこんなにも違いがあるのか、思うことが多々あります。預けられた保育園が違う等の環境が異なったことによって後天的に性格に変化が現れたのであればまだしも、先天的に大きく性格が異なります。

 

長男最大の特徴は、「1つのことをずっとしていられる」ということです。どこからが障害で、どこからが個性なのか、という話に発展すると私が知識も経験も持ち合わせていないので収拾がつかなくなりますが、日常生活を見ている限りたぶん長男は大丈夫な気がします。

 

いろいろな遊具がある公園に行くと、1つの遊具を数回遊んではすぐに別の遊具に移動して、を繰り返す節操のない姉と異なり、長男はいくつか巡って1つ楽しいと思える遊具を見つけると、それでひたすら遊び続けます。姉が1つにつき10分も継続して遊んでいられないのに対して、1時間くらい1つの遊具で遊んでいることが出来ます。

 

これにあまりにも固執して、周囲が全く見えなくなってしまうのであれば、集団行動や社会生活の中で苦労することもあるかも知れません。ですが長男は姉や友達から呼ばれれば大体ついてきて一緒に遊びます。ですがそれが一段落して、姉がまた次の遊具に移動したとなれば、またお気に入りの遊具に戻ってきます。

 

それしか出来ない、他がつまらないのでそればかりやっている、のであればこれもまた話が変わってきますが、例えば滑り台を例にすると、見てる側からすると永遠と繰り返し滑っているだけのように見えますが、本人は毎回イメージしているシチュエーションが異なるのか、何か新幹線や車などの乗り物になり切っているのか、同じに見えて同じ滑りなどないと言わんばかりに毎回楽しそうです。

 

姉と弟の2人だけを見ていると、どちらが一般的な子どもとしての性質なのか分かりません。ですがいろいろな友達と遊んでいると、1つの遊具で遊び続けることが出来ない方が多数派に見えます。何とまあ落ち着きもなければ集中力もないんだろうと思いますが、大体みんなそんな感じです。

 

 

そんな長男ですが、彼は手を洗うのに非常に時間がかかります。食後、キッチンの水道で手を洗うのですが、水道の伸びる吐出口を持ってシンク内の食器類に水を掛けて流れる様子を見たり、ハンドソープの泡を流して遊んだりと毎回楽しんでいます。

 

そういった水の流れや日常の中にあるちょっとした自然現象、科学っぽい現象によく惹かれる長男ですが、以前私の中で決定的となる出来事がありました。

 

食後にテーブルの片づけをしていた長男が、置いてあってチューブ型の小さな軽い塗り薬に手が当たった時、最も膨らんだチューブ中心を支点にして回転し始めました。それを見た長男はその回転が終わると、今度は息を吹きかけ始めました。ですが物体の支点やモーメントの知識や感覚がないので、チューブはそのまま滑って動いてテーブルから落ちてしまいました。

 

息を吹きかけて回転させたいのは見ていて明らかだったので、たまらず薬を拾い、「蓋のところに吹きかけてみ」と言うと、狙い通りチューブを回転させることが出来てその後しばらく回転させて遊んでいました。

 

この些細な出来事から私は2つの想いを抱えることになりました。

 

1つは「蓋のところに吹きかけてみ」という一言を、言うべきだったのか、言うべきではなかったのか、ということです。少なくとも薬を拾って彼の前に再び置くことは正しかったと思います。ですが、何も言わずに置いたとすれば、彼は再び自ら息を吹きかけたかもしれず、それが万が一、支点からずれたところに当たって偶然にも回転したとすれば、「親に言われてやってみたら回転した」よりも遥かに貴重な経験になったのではないか、と。

 

もちろん彼は息を吹きかければまた落ちてしまうかもしれないから、と何もしなかった可能性もあれば、チューブの中心を吹いて結局回転させることが出来なかった可能性も高いわけですが、同じように偶然生じた現象に子どもが興味を持ったら、極力手を貸すのは控えて、手助けは最後の最後にしようと思いました。

 

2つ目は「この個性を何とかしたい」ということです。「1つのことを長く続けることが出来る」かつ「些細な事象に関心を持つことが出来る」の2つは私の子育て経験の中で言えば「長男の個性」だろうと思います。

 

姉はこの個性とは全くの逆を突き進んでいる気がしますが、それを問題視するわけではなく、何事に対しても真面目に、一生懸命取り組める姉のことはむしろ全く心配していません。私に出来ることは彼女のその真面目さが生かせるような環境をよく考えて用意することに尽きます。

 

長男は日常生活のほんのわずかな瞬間で、詳しくは高校物理で学ぶ力のモーメントについて3歳で体験をして感覚的に理解をして、簡単な実験を行い、その事象を楽しいと思えるのです。

 

こどもちゃれんじ等様々な教材で「実験」を売りにしたものが多くありますが、こういったものが響くのはまさにこういう子なんだろうと思います。実際、姉は実験キットのようなものを何回か使ったことがありますが、ステップ毎に事象の確認はするものの「次は?次は何をすれば?」と手順を踏むことに一生懸命で、起こっている事象を楽しむという雰囲気ではありませんでした。

 

ここからは多少想像にはなりますが、長女は実験によって得られる結果・知識を他人に発信・披露することが好きな一方、長男は実験そのものを楽しみ、あれこれ考えて試すのが好きなタイプな気がします。どちらが良い悪いの話ではありません、しかし2人それぞれに実験をさせようとした時、やり方に正解・不正解は存在する気がします。

 

長女はテンポよく様々な実験を経験させて幅広く知識を得る方が楽しむことが出来て、長男は1つの実験、1つの事象にじっくり時間をかけ、こうしたらどうなるか、これをしたらどうなるか、と関連する知識も込みで取り組んだ方が楽しめるだろうということです。

 

 

話が逸れまくりましたが、要はこういった個性的な部分は大事にして、より深めていくことこそが今後長男のやりたいことに繋がっていくのではないかと思います。よく聞く話ですが、苦しみながら続けた努力が報われるのではなく、他人から見たら努力に見えるけど本人は楽しんでいるだけということこそが結果に繋がるという説に私は概ね賛成です。

 

日常の中で偶然出会う自然現象を大切に、子どもが興味を持った素振りを見せた瞬間を見逃さずに、というのは当たり前ですが、以前の記事で書いた中学受験に向けて私がやりたいことのうちの1つ、「不思議な物を家に置く」は長男にこそ響く試みなんじゃないかという気がしてきました。

 

今後も長男の個性を何とかすべく、長女に響かなかったことや、やらせてみようとすら思わなかったことも、積極的にチャレンジして行くべきだと肝に銘じておこうと思います。

ブランドの価値とは

皆様こんばんわ

 

以前検討していた車の購入の件は予定通り購入させて頂くことになりました。中古とは言え車を現金一括で気軽に買えるようになったことに対して、何故か豊かになったとは感じず、ただ歳を取ったなあという感想でした。

 

車不要説信者だった私が購入に前向きになった理由の一つにある、お金は可能な限り早く使うべきと言う考えですが、これは決して浪費しろと言うわけではありません。合理的な使い方と浪費の違いは各個人で大きく分かれるところですが、今回の車の購入は私基準においてかなりいい感じにその境界線上にあったような気がします。

 

私は基本的に「ブランド物」というものが嫌いです。

 

まずブランドビジネスを語る上で欠かせないのはLVMHだと思います。

 

・ルイヴィトン

ディオール

・フェンディ

ロエベ

ティファニー

 

など、この界隈に疎い私ですら知っているブランドこれら全てはLVMHが運営しているブランドです。LVMH社員たちが「う~ん、これはロエベ!」と言えばロエベ相応の価格に価値が付き、「じゃあこれはフェンディで!」と言えばフェンディの価格で誰かが買うわけです。その結果、同社の社長は2022年、世界一の富豪になりました。

 

世界で一番儲かっている時点で、製造コストの数十~数百倍もの遥かに高い詐欺のような値段で消費者はLVMH社の物を買っていることは明らかです。じゃあ消費者は何の価値に対してバカみたいな金額を支払っているのか。

 

正直、ヴィトンの何かを持つと疲れにくくなる!とか、ディオールを持つと足が速くなる!とか、そういう分かりやすい効果があれば価値を考えるのが非常に簡単です。ですが、これらブランドビジネスにおいて実感出来る効果など一切あるはずもなく、何の価値を付与せずとも高額で売れるからこそ会社が儲かるわけです。

 

結局のところ価値と言えば、ブランド物を持つことで得られる満足感や幸福感が全てなわけですが、この満足感や幸福感があまりにも一時的だからコストに見合っていない=よって合理的な使い方ではない=ブランド物が好きではない、ということです。

 

そもそも実用的な価値ではないので、購入後の価値をLVMH社が自由に変更することが出来ます。次々に新しい製品を作り続け、より高い価格帯の製品を作ることで、消費者が買ったブランド物は常に「古い・安い」ブランド物と言う位置づけになり、必ずどこかに「新しい・高い」同じブランド物を持った人が存在します。

 

これによって多くの人は今持っている物で満足することなく、ボロボロになったわけでもないのに次のブランド物が欲しくて欲しくて堪らなくなるようです。普通は長持ちする良い製品を作れば購入サイクルは長くなるので儲かりませんが、ブランド品は購入後に価値を相対的に下げることが出来るので、次の商品を買わせることが簡単です。

 

こうして極めて短期間しか価値である幸福感を得ることの出来ないので、これが様々ある目に見えない価値の中でも「価値の低い価値」だと私は感じます。そんなことない!価値はずっとあり続ける!と言う人もいるかも知れませんが、LVMH社CEOが世界一の富豪であることが何よりの証明で、多くの人が今持っている物だけで満足はせず、次々と買い替えまくっていることは確実です。

 

そんなブランド物に批判的な私ですが、世の中の大勢がブランド物好きであることは言うまでもなく、私の妻もそれなりに好きなようです。しかしまあ私がこういう性格であるゆえに、表立ってそういったことを言いません。

 

しかし私が言っているのは、「目に見えない価値があまりにも瞬間的」ゆえに嫌いだと言っているので、これをクリアしていればむしろブランド物の購入に前向きです。つまり「所有年数×使用頻度」が一定値を超えていれば、ブランド物を所有することで得られる幸福感は瞬間的ではなく継続的であると。

 

男性がお金の消費先としてネガティブランキング上位に入りそうな結婚指輪ですが、私は好きなブランドで好きな物を買って欲しいと思っていました。常に身に着けている物であり、それをふと見るたびに小さな幸福感を得られるなら、好きでもないブランドの物を渋々使い続けることに比べて遥かに良いです。

 

男性がお金の消費先としてネガティブランキング上位確定の婚約指輪については、今後日常的に使い続けられるもので、ずっと使い続けることを約束した上で、サプライズなど一切なく、妻が欲しいと言った指輪を買って婚約指輪としました。とは言ってもそこまで高額なものではありませんでした。

 

その他バッグやコートでも何でもいいですが、とにかくそれにこだわって、毎日のように、そして長く使ってくれるものであればよいのです。

 

何か良い物ないかなーとブランドの煌びやかなWEBページを見ているようでは話しになりません。「このブランドだから好き」ではなく「このブランドのこの商品が好き」でなければなりません。むしろそうであれば、その商品が好きなのだから、後にどんな新作が公開されようが古くなることで価値は毀損せず、より高い物を見てもそれは自分の好きではない物なのだから比較する必要がありません。

 

将来、子どもがこういった高額なブランド物を欲した時、ある程度の限度はありつつも、私の考えを理解した上で、大事に長く使い続けることを約束するなら買ってあげて良いと思っています。しかしそれはあくまでそれを使うこと、持っていることで幸福感を得られるからであり、あたかもそれを持つことで自分の価値が向上したと錯覚するような人にはなって欲しくはありません。

 

服装や部屋のインテリア等で顕著だと思いますが、センスの良い人は値段に関わらず何となくいい感じです。自分のセンスで自分が良いと感じるもの、そこに価値を見出す人は高いブランド物に手を出さずとも価値のあるものに囲まれた生活を送ることが出来ます。

 

私はそんなセンスを持ち合わせておらず、ただただ憧れるだけの貧しい側に属しているので、そのセンスは高額なブランド物を身に着けられる経済力よりも価値があるように思います。経済力があるに越したことはないですが、子どもにはセンスを磨いて欲しいと。

 

 

これら長々としたブランド物に関する考え方に準じて考えれば、私は今回買う車を「人生最後の車」というくらい大切に扱うべきだということは言うまでもありません。そもそも車に興味が無いのでありませんが、新しい車種が発表されて欲しいと思ったり、高級車と比較して云々思っているようでは話になりません。

 

自分の取った行動の価値、選択の正解不正解は、その後の自分の行動が決める。ということで大切に長く乗り続けて、廃車にする頃には良い買い物だったよねと言っている予定です。