4歳から始める中学受験

キッズデュオインターナショナル(Kids Duo International)に関連したあれこれはTwitter(@ganetter365)で呟いています。

ブランドの価値とは

皆様こんばんわ

 

以前検討していた車の購入の件は予定通り購入させて頂くことになりました。中古とは言え車を現金一括で気軽に買えるようになったことに対して、何故か豊かになったとは感じず、ただ歳を取ったなあという感想でした。

 

車不要説信者だった私が購入に前向きになった理由の一つにある、お金は可能な限り早く使うべきと言う考えですが、これは決して浪費しろと言うわけではありません。合理的な使い方と浪費の違いは各個人で大きく分かれるところですが、今回の車の購入は私基準においてかなりいい感じにその境界線上にあったような気がします。

 

私は基本的に「ブランド物」というものが嫌いです。

 

まずブランドビジネスを語る上で欠かせないのはLVMHだと思います。

 

・ルイヴィトン

ディオール

・フェンディ

ロエベ

ティファニー

 

など、この界隈に疎い私ですら知っているブランドこれら全てはLVMHが運営しているブランドです。LVMH社員たちが「う~ん、これはロエベ!」と言えばロエベ相応の価格に価値が付き、「じゃあこれはフェンディで!」と言えばフェンディの価格で誰かが買うわけです。その結果、同社の社長は2022年、世界一の富豪になりました。

 

世界で一番儲かっている時点で、製造コストの数十~数百倍もの遥かに高い詐欺のような値段で消費者はLVMH社の物を買っていることは明らかです。じゃあ消費者は何の価値に対してバカみたいな金額を支払っているのか。

 

正直、ヴィトンの何かを持つと疲れにくくなる!とか、ディオールを持つと足が速くなる!とか、そういう分かりやすい効果があれば価値を考えるのが非常に簡単です。ですが、これらブランドビジネスにおいて実感出来る効果など一切あるはずもなく、何の価値を付与せずとも高額で売れるからこそ会社が儲かるわけです。

 

結局のところ価値と言えば、ブランド物を持つことで得られる満足感や幸福感が全てなわけですが、この満足感や幸福感があまりにも一時的だからコストに見合っていない=よって合理的な使い方ではない=ブランド物が好きではない、ということです。

 

そもそも実用的な価値ではないので、購入後の価値をLVMH社が自由に変更することが出来ます。次々に新しい製品を作り続け、より高い価格帯の製品を作ることで、消費者が買ったブランド物は常に「古い・安い」ブランド物と言う位置づけになり、必ずどこかに「新しい・高い」同じブランド物を持った人が存在します。

 

これによって多くの人は今持っている物で満足することなく、ボロボロになったわけでもないのに次のブランド物が欲しくて欲しくて堪らなくなるようです。普通は長持ちする良い製品を作れば購入サイクルは長くなるので儲かりませんが、ブランド品は購入後に価値を相対的に下げることが出来るので、次の商品を買わせることが簡単です。

 

こうして極めて短期間しか価値である幸福感を得ることの出来ないので、これが様々ある目に見えない価値の中でも「価値の低い価値」だと私は感じます。そんなことない!価値はずっとあり続ける!と言う人もいるかも知れませんが、LVMH社CEOが世界一の富豪であることが何よりの証明で、多くの人が今持っている物だけで満足はせず、次々と買い替えまくっていることは確実です。

 

そんなブランド物に批判的な私ですが、世の中の大勢がブランド物好きであることは言うまでもなく、私の妻もそれなりに好きなようです。しかしまあ私がこういう性格であるゆえに、表立ってそういったことを言いません。

 

しかし私が言っているのは、「目に見えない価値があまりにも瞬間的」ゆえに嫌いだと言っているので、これをクリアしていればむしろブランド物の購入に前向きです。つまり「所有年数×使用頻度」が一定値を超えていれば、ブランド物を所有することで得られる幸福感は瞬間的ではなく継続的であると。

 

男性がお金の消費先としてネガティブランキング上位に入りそうな結婚指輪ですが、私は好きなブランドで好きな物を買って欲しいと思っていました。常に身に着けている物であり、それをふと見るたびに小さな幸福感を得られるなら、好きでもないブランドの物を渋々使い続けることに比べて遥かに良いです。

 

男性がお金の消費先としてネガティブランキング上位確定の婚約指輪については、今後日常的に使い続けられるもので、ずっと使い続けることを約束した上で、サプライズなど一切なく、妻が欲しいと言った指輪を買って婚約指輪としました。とは言ってもそこまで高額なものではありませんでした。

 

その他バッグやコートでも何でもいいですが、とにかくそれにこだわって、毎日のように、そして長く使ってくれるものであればよいのです。

 

何か良い物ないかなーとブランドの煌びやかなWEBページを見ているようでは話しになりません。「このブランドだから好き」ではなく「このブランドのこの商品が好き」でなければなりません。むしろそうであれば、その商品が好きなのだから、後にどんな新作が公開されようが古くなることで価値は毀損せず、より高い物を見てもそれは自分の好きではない物なのだから比較する必要がありません。

 

将来、子どもがこういった高額なブランド物を欲した時、ある程度の限度はありつつも、私の考えを理解した上で、大事に長く使い続けることを約束するなら買ってあげて良いと思っています。しかしそれはあくまでそれを使うこと、持っていることで幸福感を得られるからであり、あたかもそれを持つことで自分の価値が向上したと錯覚するような人にはなって欲しくはありません。

 

服装や部屋のインテリア等で顕著だと思いますが、センスの良い人は値段に関わらず何となくいい感じです。自分のセンスで自分が良いと感じるもの、そこに価値を見出す人は高いブランド物に手を出さずとも価値のあるものに囲まれた生活を送ることが出来ます。

 

私はそんなセンスを持ち合わせておらず、ただただ憧れるだけの貧しい側に属しているので、そのセンスは高額なブランド物を身に着けられる経済力よりも価値があるように思います。経済力があるに越したことはないですが、子どもにはセンスを磨いて欲しいと。

 

 

これら長々としたブランド物に関する考え方に準じて考えれば、私は今回買う車を「人生最後の車」というくらい大切に扱うべきだということは言うまでもありません。そもそも車に興味が無いのでありませんが、新しい車種が発表されて欲しいと思ったり、高級車と比較して云々思っているようでは話になりません。

 

自分の取った行動の価値、選択の正解不正解は、その後の自分の行動が決める。ということで大切に長く乗り続けて、廃車にする頃には良い買い物だったよねと言っている予定です。