4歳から始める中学受験

キッズデュオインターナショナル(Kids Duo International)に関連したあれこれはTwitter(@ganetter365)で呟いています。

4歳から始める中学受験とは

皆様こんばんわ

 

長女はもう5歳になってしまいましたが、以前から考えている4歳から始める中学受験とは一体何なのか。その方向性がようやく見えてきたのでまとめておこうと思います。

 

まず大前提として、我が家は一般的な中学受験のセオリー通りに進むであろうということです。具体的に言えば、小学生低学年のうちから小学生の学習範囲を先取りし、小学生高学年には中学受験対策に集中することになるはずです。

 

私が考えているのは何かこのセオリーの他に出来ることはないのか、ということです。一般的に幼稚園から小学生低学年の間に公文で計算力や勉強をする習慣をつけたりするのがよくある話のようですが、そういうことではありません。特に取り組みに時間がかかって早期から実行する必要があって、完全なオリジナルとは言わずとも、あまり一般的に注力されることのない取り組みをしたいと考えていました。その結果やろうと決めたことは2つ。

 

1つは「過去問の分析と日常生活へ落とし込み」です。

 

「濃度10%と20%の食塩水を同じ量混ぜたら濃度はいくつになるか」という問題に対して30%と答える子が少なからず存在すると聞いて衝撃を受けました。家で味噌汁を作ったことがあれば、味見をして濃かったらお湯や水を足して調整することもあるでしょう。濃い物に薄い物を投入すれば薄くなると。

 

また天秤やてこを学ぶに際して、洗濯物を干してみると良いという話も聞きました。小学生の頃に母親の手伝いで洗濯物を干すことなど珍しくもなかった私には全く理解できませんが、そういった体験によって新たに学ぶ知識や概念を理解しやすいことがあると。

 

そんな話を聞いて誰もが思うことかも知れません。1つの知識・概念を理解する助けとなる日常生活上の行動が何かしら存在するとします。その知識・概念の寄り集まったものを解くのが中学受験であるとすれば、過去問を細かく分解して解くのに必要な知識・概念を取り出すことが出来るとすれば「日常生活に基づいて入試問題を理解しやすくなる」のではないかと。

 

予定されている手順はこうです。

 

1.過去問を解くのに必要な要素に分解する

2.その要素の理解を助ける日常生活中の行動や体験を考える

3.上記を繰り返して集まったデータを出現頻度順に並べる

4.頻度の高い順に日常生活に取り入れる

 

これから継続出来る限り、もしくは途中で方針転換が必要になるまで、この4STEPを繰り返していこうと思います。ちなみにこの「過去問の分析と日常生活へ落とし込み」が採用された理由は次の通りです。

 

1.途方もなく時間がかかって誰もやろうとしない

2.就学前の今からやることに意味がある

3.効果がある確証が全くない

 

まずどう考えても時間がかかり過ぎて余程暇を持て余す人しかやろうとは思わないでしょう。加えて過去問の分析なんてのは塾講師の役割であって、一般家庭はそれにお金を払って対価を得るのが普通です。どうせお金を払うのにあえて自身の時間を割こうとする人は稀であろうということで一般的ではないことが今回目指す方向性と一致しています。

 

そして4歳(5歳)の今から始めることに意味を見出すことが出来ます。試験日が目前に迫った段階となれば家事よりも問題を1つでも多く解いた方が良い結果に繋がることは確実です。まだ時間に追われていない今から緩く始められるのが私の個人的ニーズに合っています。

 

最後に意味があるのか全く自信が持てないという点です。あくまでセオリーに従って戦うことが前提なので、意味を成さなかったとしても受験の合否に対する影響が軽微です。本業を主な収入源とした人の副業みたいなもので、これに全てを賭けているわけではないので気楽にやれる気がします。

 

 

と、ここまで書いておきながら、この取り組みが成立するのか確かめてすらもいないので、取り急ぎ適当な中学校の過去問を買って試してみようと思います。

 

 

2つ目は「不思議な物を家に置く」です。

 

よく様々な科学実験を体験させると良いという話は聞きます。私も小学生くらいまでは実験も楽しめていたような気がするので、子どもと楽しみつつ科学の知識を身に着けることが出来るとなれば良いに決まっています。

 

ですが実験を通して科学に興味関心を持つことが出来る子と言うのは、そもそもそういうのが好きだっただけだ、という話も理解が出来ます。そういった子に実験をごり押すのは如何なものかと。

 

そこで実験の前段階、不思議な物を見たときに多少なりとも興味を持ってもらうべく、とりあえず家の中に不思議な物を置いていこうと思います。

 

これから思い付いたものをどんどん置いていこうというだけで、具体的に何を置くかほとんど決まっていませんが、とりあえず手始めにテンセグリティ構造の何かを、子どもたちが日常的に目にする場所に置いてみようと思います。

 

これを置いたところで直ちに何かを期待しているわけではありません。何も思ってくれなくて当然だと思います。ですが毎日見るその謎の物体の構造や仕組みと似た物をどこかで見たとき、それと同じのが家にあって毎日見ているやつだ!となれば、多少は興味を持ってくれるんじゃないかと少し期待しています。

 

子どもが何かに興味を持つ気配を感じたら、その何かを更に深堀する実験や体験を考えることとして、とりあえずは押し付けることなく日常生活の中にいろいろな学びを取り入れて何かが起こるといいなと言ったところです。

 

とりあえず私の日常課題に「過去問をよく読む」と「不思議な物収集」が追加されました。

褒め方で成功した気がする話

皆様こんばんわ

 

世の中には「子育てはこうすべき」とか「子育て成功の秘訣」だとか、本当にくだらない情報で溢れかえっているわけですが、今回はそのうちの1つになってしまうであろう、私が子育てをしている中で明確に、これは上手く行ったなーと思えた褒め方の事例についてです。

 

よく成果・結果を褒めるのではなくプロセス・努力を褒めるべきだという話は耳にするかと思います。散々出回る子育て理論を疑ってかかっている私ですが、頑張って努力した過程を含めて褒めるべきだということ、これは本当だったという話です。

 

子どもが何か新しいことを始めるとき、当然最初から上手く行くことばかりではないので、出来ないことが不満で「もうやりたくない!」みたいに早々に放り投げようとすることがあると思います。プロセスや努力を褒めてやる気を出させようとしても、とりあえず多少なりともプロセスを踏んで努力してくれなければ褒めようがありません。

 

現在5歳の長女にも以前はそんなことが何回かありました。こんなの出来ない!もういやだ!みたいなやつです。ですが最近はそういう類の発言はほとんど聞かれなくなり、何しろそれを言われても私が完璧に打ち返すことが出来るようになったのです。

 

まず長女は1つ乗り越えた壁がありました。2022年1月から水泳を始めて、もちろん当初は顔を水につけることも大変だったわけですが、数か月で潜れるようになり、そこからはプールが楽しくなったように思います。

 

1年くらい前のある日、そんな長女がお絵描きをしているとき、私はなぜか☆の書き方を伝授しました。「10時→2時、7時→12時、5時→10時」と時計を置いて何度も唱えながら一緒に書きました。でもすぐに順番を忘れてしまうようで、出来ない出来ないと嘆いているので

 

「最初は水に顔をつけられなかったでしょ。でも毎週行って何度も何度も頑張ったらもう潜れるようになってプール楽しいでしょ。何度も頑張ってやればすぐ出来るようになるんだから大丈夫だよ」

 

みたいなことを言った気がします。当然ですが潜るよりも遥かにハードルが低い☆の書き方など、翌日には出来るようになったとドヤって来ました。

 

そこから逆上がりでも壁倒立でも縄跳びでも、ありとあらゆる場面で、「前はアレが出来なかった→でも頑張って練習した→すぐに出来るようになったよね」と過去に頑張って出来るようになった話題を掘り返して来ては、「これもどうせすぐにできるようになっちゃうんだろうなー」などとおだてまくることが常習化しました。

 

こんな芸の無いワンパターン戦法でずっとやってきましたが、最近になってよく考えれば現在長女が挑んでいる空中逆上がりについては「出来ない出来ない」と私に嘆くことはなく「頑張って練習してるんだ」としか言ってきていない気がします。

 

どうせ嘆いたところでいつもと同じことしか言ってこないからと見抜かれている可能性もありますが、その他現在挑戦中の事柄に関しても全部自主的に努力を積み重ねているように思います。

 

味を占めた私は最近これを英語の勉強でも多用しています。最初は運動での成功を例に、英語も毎日コツコツやっていれば、プールや体操と同じように出来るようになっちゃうんじゃないのーといういつものくだりですが、英語だけで考えても以前より明らかにいろんな文章が読めるようになったよね、と。毎日毎日コツコツ頑張ってるもんねーと。

 

それでも運動系とは異なって、これまで取り組んできた英検対策は5歳児には難しいことが多く、率先してやる気になるとまではいきませんが、様々な英文を読むことには積極的になり、読んでる姿を見せてくれればこちらも褒めておだてやすくて仕方がありません。

 

もちろん子どもの性格にもよりますが、大体の子どもは何かが出来るようになったらそれを親に見せたがるものだと思います。その時にその成果を褒めると同時に、これめちゃくちゃ頑張ったもんねーと、努力あってのその成果だということを子どもに印象付けることが大事な気がします。

 

 

 

長女と私はそんな関係が長く続いているので、次は長男にも水平展開しようという話になります。「努力して出来た」よりも「なんか知らないけど出来る」ことが多くて褒めるネタに悩んでいましたが、最近長男も水泳で潜れるようになり、進級という結果を明確に残しました。長女と同じ手法が使えるようになったのです。

 

それに加えて、毎日取り組んでいるワークの中で、数字の「3」が以前は真ん中の部分で来た道を戻ることが出来ずヘビみたいな形でしか書けませんでしたが、最近はちゃんとした立派な「3」を書けるようになりました。当然ここぞとばかりに「毎日たくさん3書いたもんね!最初はヘビだったけど、今良い感じの3だよね!頑張って練習したから書けるようになったもんね!」と努力と結果を褒めちぎりました。

 

とりあえず私は今後、この2本槍を持って、長男が何か苦戦する事柄に出くわしたとき、ひたすら潜れるようになった話と「3」の話をすることになるでしょう。長女は乗せられやすい性格なだけで長男には何も響かない可能性もありますが、子どもと同じく私も一度経験した成功体験は繰り返しやってみたくなるものです。

 

こんなことばかりをしていると子どもは一体どうなるのか、今後数か月置いてからまたそれまでを振り返って、上手く行ったのかどうか考えてみようと思います。

車を買うことになった話

皆様こんばんわ

 

私の住んでいる地域は車を所有していなくとも生活に困ることはない程度に栄えてるにも関わらず、ほとんどの家庭が所有しているという印象です。数々の理由により私は車の所有否定派でした。何しろ電動アシスト付き自転車信者であり、電動チャリがあればどこへでも行けると思っています。家族が5人構成となったことで、車ではなく電動チャリをもう1台買って、5人で出かけることが出来るようにする程の強めの信者です。

 

まず電車通勤をする共働きは土日にしか車の出番がありません。この時点で車を利用する頻度、すなわち車を所有する価値が70%OFFです。

 

次に家最寄りのそれなりに大きな〇〇ー〇〇線と名がつくような道路が激混みです。何故か駅へ向かう方向も逆方向もどちらも混んでいます。

 

また戸建て住宅なので駐車場代はかかりませんが(むしろ土地購入時に先払い)当然のことながら道路に面していて車を外敵から守る術がありません。何かを所有するということは、それを守り、維持管理していかねばなりません。車という高額商品を野ざらしにしておくには、それが傷ついてもストレスに感じない強いメンタルか、些細な損失と思えるほどの資金力かのどちらかが必要です。

 

と、車の悪口は考え込まずともスラスラと言えるわけですが、そんな我が家もどうやら車を購入することになりそうです。妻はまだ悩んでいる素振りを見せていますが、もうほぼ確定です。

 

車の購入を検討することになった最大の要因は間違いなく「妻の友達」です。夫の転勤に同行する形で子ども2人含めてシンガポール移住という令和っぽさ全開の妻の友達が、最近1回目の車検を終えたミニバンが不要になるので買わないかという話を持ち掛けてきました。

 

中古車屋に売る金額よりも高く、中古車屋で買うよりも安く、どちらもwin-winとなるような金額で、ということでしたが、シンガポール移住をサクッと決めるような所得世帯においてはそんなのは微々たる話で、要は「我が家が車をお得に買うか否か」という話です。

 

典型的日本人としての資質を持ち、かつそれなりに潔癖症な妻は何に対しても「中古」となると大きなマイナス査定が入るわけですが、「気の知れた友達一家が3年使っただけ」となると全く気にしていないようです。

 

ですがあくまでも中古であるという考え方も出来るので、新車を守り抜くよりはストレスが少なく済みます。新車は維持ストレスが大きい一方で、中古車は今このタイミングで妻の友達から買うのが明らかにお得です。よって行き着くのが「今買わなければ今後車を買うことはない」という極論で、ある日突然妻の友達から「今買うのか、一生買わないのか、どっちにする?」と唐突に問われた形になりました。

 

こうして妻は長考に沈むことになりました。

 

購入を決断すると、車両代金を120ヵ月分割、税金や車検、保険料込々で月5万円です。車を購入・維持することに月5万円の価値があるのか。夫婦で毎晩話し合いが行われました。

 

そもそも車利用の価値を金額化するのが大変です。ちょっとした雨の日の送迎や、普段自転車を使っている買い物に車で行くことの価値とは一体何なんなのか。タクシーと比較するのか、レンタカーと比較するのか、様々なことを考えた結果、我が家が行き着いた損益分岐点は…

 

 

 

 

「月に1回1泊2日で出かけること」

 

 

 

 

雨の日の送迎や買い物などの日常使いは頻度も不明確で金銭価値に置き換えることはできないため、単なるプラスαと見なすこととし、毎月1泊2日の旅行等に出かけるのであれば、月5万の支出に見合うという結果になりました。

 

もちろん隣接した県に気軽に出向いて子どもに経験させられることが増えたり、いろいろな行動の選択肢が増えることも価値と見なした上で、毎月1泊2日で出かけるならレンタカー代を鑑みて十分に車を所有する価値がある、と。

 

そうと決まるともう大喜利のごとく、如何にして1泊2日を毎月するかのアイディア捻出に悩む日々が始まりました。いろいろと考えた結果、行き着いたのは「海」「山」「工場」です。

 

まず冬の海は対象外です。問題なのは夏、マリンスポーツをする気合いがあるのであれば1泊2日で出かける頻度も増えるでしょう。しかしこれは日焼けをしたくない妻&海に入りたくない私には不適当過ぎて却下されました。

 

次に冬の山、つまりウィンタースポーツです。シーズン中頻繁にスキー&スノボに出かけるのであれば車を所有している価値を見出せます。ちなみに私も妻も義務教育中のスキー林間学校で最初で最後の初体験をした程度の力量です。

 

次の夏の山、これは季節問わないかもしれませんがキャンプです。会社の先輩(5人家族)からキャンプは道具を揃えてしまえば、場所代なんてたかだか5,000円くらいだから子どもが多ければ多い程安く済むよ、との助言を受けていたことを思い出しました。

 

そして工場見学です。1泊2日ではないと思いますが、工場は大体立地が悪いので車を持っていなければ出かけ先の候補に入りにくいところ、気軽に行けることで子どもの学びの機会を増やすことが出来る気がします。

 

 

つまり雪があれば滑りに出かけ、雪が無ければキャンプをする、そしてあらゆる工場を見に行く、という超アウトドア派となって初めて、車を所有する資格を得るということです。これが実現するのかどうか正直分かりませんが、ここまで考えが及んだ辺りで、何となく妻は購入に意思が傾いたように思います。

 

 

そもそも私はここまで考えずとも、早い段階で買ってしまっていいだろうと思っていました。お金は持つ人の加齢と共に著しく価値を毀損していくものだと思っているので、意味のある合理的な使い道がある時点で使ってしまうのが一番良いと思っています。なので車を購入することで実現出来なくなる何かがあるわけでもないのであれば、買ってしまって良いだろうと。

 

今後我が家は中学受験を目指すわけですが、勉強漬けだったという思い出を抱えて中学生になって欲しいとは思いません。勉強をやるときはきっちりやって、週末はスキーやキャンプなどに出かけてストレスを発散して、大変だったけど楽しい思い出もたくさんあると言ってもらえるよう頑張っていこうと思います。

正しい性教育とは何なのか

皆様こんばんわ

 

私のTwitter(X)アカウントはほとんどが子育て関連で、おすすめタブに表示されてくるツイート(ポスト)も大体がそんな感じです。その中で子どもの性教育云々について述べているものがあり、その内容は端的に言えば、性的なものに「不寛容」な女性の意見でした。私は自分の子に対して、恐らく全く逆の教育をするだろうと思います。

 

まず性に関するスタンスとして「奔放」「不寛容」「寛容」の3つがあるとします。奔放は性に関する敷居が低く、不寛容は敷居が高く、寛容はその間という意味です。

 

まず10代で「奔放」というのはあまりにリスクが高いのは言うまでもありません。相手を見極めた上で奔放なのであれば正直全然良いと思いますが、犯罪や薬物、病気や怪我に巻き込まれるであろうことを考えると、奔放になって欲しいとは思いません。

 

ですが逆に「不寛容」も同等と言っていい程リスクを背負った考え方だと思います。もちろん犯罪や薬物、病気や怪我に巻き込まれるリスクは不寛容であればあるほど遠ざけることが出来るかもしれません。ですがそのリスクすらゼロにすることは不可能な一方で、性を禁忌と見なすことで異なるリスクが激増し、ストレスまみれの社会生活が待っている気がします。

 

まず世の中全体として、非常に多くのことの行き着く先が「性」であるということです。夜の銀座ではパパ活女子+おっさんが大群を成して練り歩いていて、持て余したお金の行先の1つが「性」であることを簡単に実感できます。一定の地位を得た著名人でさえ性犯罪に走り、女優やアイドルなどで若い女性が何かしらの活動をするとなれば、それを斡旋する事務所や監督やらの枕営業の噂が耐えません。なんならジャニーズの件で、男ですら例外ではないことはご承知の通りです。

 

三大欲求が「食欲」「睡眠欲」「性欲」と言われるように、世の中の大半の行き着く先が「性」に行き着いてしまい、これに対して不寛容であると視界に入るほぼ全てがストレス要因に見えて仕方ないだろうと思います。

 

そしてその性欲が世の中に溢れかえっていることで性犯罪が絶えないわけです。私は男で性犯罪の被害に遭ったこともないので、性犯罪被害について何一つ語る資格を持ち合わせていませんし、たかが性犯罪などと口が裂けても言えません。ですがこの性犯罪の被害に遭ってしまったとき、心に大きな傷を負い人生そのものをめちゃくちゃになってしまうのは、たかが犯罪者のために人生を捧げたかのように見えてしまい勿体ないの一言です。

 

もちろん誰しもが無傷でいることはできないとしても、禁忌と見なすような不寛容さでは心に傷を負う可能性が高まり、世の中にリスク要素が多すぎます。

 

 

なので寛容であるべきだと私は思います。正しい知識を身に着けることは大前提として、「性」というものを遠ざけることなく、あくまで日常的にありふれたものだと伝えるべきなのでは、と。覚えたての下ネタでからかってくる男子小学生から始まり、年老いたおっさんまで、男は大体がそんなもんであり取るに足らないことだ、と。一方で生物として種の保存の仕組みとしては避けられないことなのだから、正しい知識を持った上で寛容に考えるべきだ、と。

 

これらを父親から、年頃の娘に伝えることは不可能でしょう。高確率で関係悪化という勝算なきリスクを取ることはできないので、やんわりと妻に任せるしかありません。子どもたちがどう捉えるか、どう考えるかは分かりませんが、どうか過度な不寛容な捉え方や奔放な考え方に行き着かないことを祈るばかりです。

中学受験について考える

皆様こんばんわ

 

今回は久しぶりに中学受験についてです。日頃考えていることをダラダラと書いているこのブログでなかなか話題にしない時点で全く考えていないように見えますが、タイトルに据えているだけあって割と真面目に考えています。

 

我が家において、中学校を性質や目的に応じて4つに分類しています。複数に該当する学校もありますが、結局現時点では視野に入るという点であまり気にしていません。

 

まず1つに「とにかく賢い」という分類です。受験界隈で上位に名を連ねるような、その界隈への入学が最終的に東大・京大と言ったトップクラスの大学への最短ルートとなるようなとにかく賢い人が集まる学校は、中学受験を志す誰もが一度は考える選択肢だと思います。

 

次に「受験を終わらせる」という分類です。様々な中学校がある中で、中学・高校・大学と全て内部進学で進むことが出来る大学は、中学受験が本人の最後の受験になる可能性があり、それを良しとする場合に受験の候補になると思います。

 

しかしこれには当然思うところがあり、例えば私の住む地域で通える範囲に青山学院に内部進学可能な小学校があります。中学からの編入が可能なのか知りませんが、中学・高校を私立に通った結果の最終学的がMARCHというのは、単にコストに見合っていないという点で我が家では不採用です。

 

じゃあどこなら見合うのかとなれば、もう早慶しかないという話になります。これらに内部進学できる中学というのは必然的に1つ目の「とにかく賢い」にも当てはまる気がします。

 

高校から、あるいは大学で早慶へ入ることの難易度よりも、中学から入ることの難易度が低いと考えるのであれば、最終学歴が同じで投じる労力が少ないということで割に合うと考えることが出来る気がします。当然、お金のことは無視した議論です。

 

3つ目は「国際路線」という選択肢です。KDIに通っている都合、どうしても中学も英語教育や国際色を推した学校が魅力的に見えてきます。英語や国際方面に特化した先に何があるのか私には分かりませんが、KDIで学んだことを生かすという点においては最善の選択にも見え、更に受験科目に英語があるとすれば、おそらくいない気もしますが英語を受験期まで全くやらずにきた子より優位に戦えそうです。

 

そして最後の4つ目が「その他」です。私の大学受験のように、滑って止まった先だったというのであればいざ知らず、特別進学先が良いわけでもなく、特に国際色豊かなわけでもなく、内部進学で大学に通じているわけでもない、何なのかよく分からない私立中学が多数存在します。

 

もちろんこういった中学に来る子も、受験戦争を戦った実績がある人のみであることは確かで、その点で公立中学よりも良いと考えることはできますが、あくまで滑りどまったときに考える比較であり、ここを目標に中学受験をする意味は全く見出せません。

 

 

と、上記をまとめると「賢い」「早慶」「国際」「その他」ということになりますが、「その他」を除く中学を目指さないのであれば受験させる必要はないというのが我が家の結論です。

 

頂上を目指しても負荷がかかり過ぎて子どもが耐えきれなければ意味はなく、早慶を目指して仮に合格しても内部進学という強い力で子どもの将来の選択肢を狭めたと捉えられる可能性もあり、国際色を売りにする学校で海外や異文化への興味を失ったらまるで意味がなくなるなど、いずれにしても上手くいかない場合は多々あると思います。

 

ですが取り組む年月の長さや子どもへの負担を考えると、据える目標に明確な根拠がないと言うのは話にならないので、小学3~4年の頃には子どもの言うことや雰囲気、性質なども考慮して、確固たる目標と、なぜそれを目指すのかという明確な根拠を掲げた上で取り組む必要がある気がしたのでした。

週4日勤務制度から考える専業の効率の良さ

皆様こんばんわ

 

今回は行き着いた結論がまるで意味のなかった専業主婦+稼ぐパパが如何に高効率かという話です。

 

現在、妻は育児休業中で来年2024年5月頃から職場復帰を予定しています。産後休暇と育休合わせて1年9か月と言ったところです。妻は私の10倍以上の従業員を要する会社に属しているため、さすが大企業、復帰後の働き方としていろいろと選択肢があります。

 

それが「フルタイム」「時間短縮勤務」「週4日勤務」の3つです。働き方の選び方は社内での立場、精神的な負荷等もあるので働く側が決めるべきで、今回の場合私がとやかく言うこともない気がしますが、仮に私の仕事関連であったとしても、我が家ではまず夫婦で家庭として何が最善かを考え、それに仕事を合わせていく風潮があります。総じて私も妻も仕事の優先順位がとても低い。

 

妻が選べる3プランの最有力候補に「週4日勤務」という選択肢があります。説明など不要かと思いますが、給与の20%を犠牲にすることで平日が1日休みになります。私たちの家庭環境ということを抜きにして、そもそもこの週4日勤務は利点が結構あります。

 


まず勤務日数が20%減っても付与される有給休暇の日数が変わりません。有給休暇1日を得るために必要な勤務日数が減ってお得です。

 

次に福利厚生です。普通フルタイムで働いて受けている福利厚生を80%の労働で受けることが出来ます。些細な話ですがこれもお得です。

 

また時短勤務との相対的な利点になりますが、残業が出来ます。一般的な家庭においてはそれほど利点に思えないかもしれませんが、我が家においては私の平日休みが頻繁にあるので、繁忙期等で残業したいタイミングがあれば可能です。

 

そして通勤1往復に対する業務時間がフルタイムと同じで、時短勤務より遥かに効率的です。

 

これらそもそもの制度としての利点はさておき、我が家においては今後、小学生になる長女の習い事のことを考えると、平日を1日休みに出来ることは非常に大きなメリットです。共働き世帯の不都合要素の1つに子どもの習い事があると思いますが、これらを綺麗さっぱり解決することが出来ます。

 

そして4月から保育園に通う次女が、妻の平日休みにおいても保育園に通えるのであれば、短い時間ですが妻にも一人になれる休日を作ることが出来ます。

 

 

さて、そんな週4日勤務制度ですが、唯一にして最大の問題点は誰がどう見ても給与が20%犠牲になるという点です。これによって家計が破綻するという人はそもそもフルタイムを選ぶわけですが、そこまでいかずともこの給与減を軽減したいと思うものです。

 

そこでまた私の特殊なシフト勤務です。平日に休みがあり、この休みは規則的でいつが休みになるかは先が読めても休む日を自分で決めることはできません。ですが、休みの日に働く自由度は非常に高く、休日出勤をすることは協定的な上限はありつつも実質的には自由です。

 

つまり妻が週4日勤務を選択して生まれた平日休みの日、私も休みだった場合、休日出勤をして給与減分を取り返せばいいのではないかということです。仮に週4日勤務で生じた平日休みが4日、その全てが私の休みと重複していた場合、私が4日全てを休日出勤した方がそもそも単価が高く、休日出勤1.25倍も相まって世帯所得は増加します。

 

こうなると誰もが思うことでしょう。もし週3日勤務が許されたとすれば、もっと世帯所得は増えるのでは?と。

 

ですが、具体的な計算をする前に、この理屈の行き着く先は週0勤務、つまり専業主婦家庭ということになります。妻が週5日勤務勤務から週4日勤務にして私が働くことで世帯収入は増加する。これを続けると専業主婦になることが世帯収入の最大化になるはずです。しかしそう簡単には上手くいきません。

 

夫婦共働き、それぞれ160時間/月の勤務時間があるとして、週4日勤務+休日出勤は単なる労働時間の移動、160:160をおよそ190:130にするということです。週3日勤務としてその全てを私が代わりに働くと220:100になる。このまま専業主婦家庭まで突き進むと320:0になるということで、私が単純に1日に2日分、16時間を月20日勤務をすることで世帯収入が最大化!という理屈です。

 

私は共働きが世帯収入を増やす最も効率で敷居が低い方法だと思っていましたが、改めてこうやって考えてみると専業の方が効率がいいわけです。そりゃあ各自が専業に集中する方が効率が良いというのは至極当たり前の話かもしれません。ですが、この高効率を追求するには、1人で2人分の労働時間をこなす気合が必要という条件付きです。それくらい働いている人もいるかもしれませんが、私はそんな高負荷には耐えられません。

 

我が家における現実的で最も世帯所得が増えるラインはどこなのか、と考えてみましたが、仮に週3日勤務が存在していたとしても、その分全ての労働時間を私が請け負うとこの時点で既に過負荷であろうことは容易に想像できるので、結局週4日勤務こそが最高効率だろうという最終着地をしました。

 

制度的に正社員で週3日勤務や週2日勤務が選べる企業というものを聞いたことがありませんが、働き方が多様化する昨今、共働き家庭で夫婦間で労働時間を上手く移行・調整できる人は、家庭内働き方改革を考えてみてもいいのではないかと思いました。

早期英語教育をどう考えるか

皆様こんばんわ

 

今回は意見が分かれそうな、早期英語教育に意味があるのかという話です。このブログは見てくれている人の80%がTwitter経由なので、ほとんどの人がKDIにお子様を通わせている、もしくはKDIに興味がある人だと思います。よって早期英語教育に対して否定的な人はそんなに多くはないだろうと思います。

 

しかし、世の中にはいろいろな考え方、研究等があり、早期英語教育に対して否定的な人もいることでしょう。異なる意見を持つ人を攻撃することさえなければ、どんな思想を持って居ようが自由です。しかしこの議題に関してはその思想の影響を受けるのが幼い子という点が原因なのか、よく揉めている気がします。

 

私は早期英語教育に肯定的です。KDIに子どもを通わせているので当たり前です。ですが早期英語教育に意味があるのかないのか、どちらが正しいか、などということはどうでも良い派です。

 

よく否定派の主張として、早期英語教育は英語の出来ない親のエゴだという話があります。これは本当にその通りだと思います。英語に全く興味を抱くことなく大人になり、社会に出て英語の価値に気づき、それでももうどうすることも出来ない人たちは、自分の子には同じ後悔をして欲しくないと思い、早期英語教育に走ります。

 

自分の子の将来を、今の自分自身と比較してどのように評価するかは人により様々だと思いますが、私は、「私と同じような環境で育てば私と同じような」将来に行きつくと考えています。つまり英語に関して言えば、何もしなければ今の私と同じように全く話すことの出来ない大人になると考えています。

 

では私のこれまでの人生を振り返って、どこで英語に興味を持つことが出来た、持つ可能性があるタイミングはいつだったでしょうか。

 

中学校で初めて英語を習い、もうその時から好きではありませんでした。仮に小学生の頃に友達と遊ぶ時間を削って英語を学ぶ機会が与えられたとして、私は英語に真剣に取り組んだでしょうか。いいえそんな勉強熱心でも真面目でもありません。つまり娘も同様と考えれば、小学生になった頃に始めたのであればもう手遅れです。

 

小学生以降に英語に真剣に取り組める環境を作ってあげられる人はそれでもいいかも知れません。ですが、そういった自信がある人は、自身が英語を使える人だろうと思います。英語を話せず、好きでもない私が、小学生になった子どもを英語好きにさせる自信などあるはずもありません。

 

よってこれまでの歴史と、この考え方からすると、早期英語教育が良い悪いの議論の前に、早期英語教育以外に選択肢はないのです。

 

 

よく海外留学も話題に挙がります。英語圏に数年住めば自然と話せるようになる、と。ですがまずそもそもの話、海外留学をしようと思う時点で英語に興味があり、向上心があると言うことは確実です。海外留学をしたいと微塵も思ったことのない学生時代の私が、仮に海外に放り出されていたとしたら、私の取ったであろう行動は如何に人と話すことなく生きていくかだと思います。

 

幼少期ではなく、母国語の基礎が出来上がった、ある程度大きくなってから学んだ方が効率が良いといったような研究を耳にすることがよくありますが、それは小学生半ばの子に英語を学ばせることが出来た家庭が残した結果ということに過ぎず、それが出来れば苦労はしないのです。実生活を豊かにする研究は沢山あり感謝していますが、子育てに関する研究は、本当に子育てをしたことがある人が行ったのか怪しいものが多すぎます。

 

そもそも研究対象が科学的事象ではなく人なので、これらに関する研究の最後には全てに「※個人差があります」「※あくまで参考程度にお考え下さい」「※信じるか信じないかはあなた次第です」みたいな文言がつけられているべきです。

 

これまで様々な早期教育否定派の意見、根拠を見聞きしてきましたが、前述のような考えを合理的に否定する考え方など一つもありませんでした。ですが、否定派の人を否定する根拠も何一つありません。幼少期からじたばたせず、子どもの将来の英語力を憂うことなくどっしりと構えているご家庭を見ても、単純に優秀な両親なんだろうとしか考えが浮かびません。

 

KDIに通っていても英語にあまり興味を持てず、結果が伴わない子がいることも話には聞きます。早期英語教育こそが正解などと言うことはなく、英語が好きではないのにKDIに通わせることは、経済的にも子どもへの負荷的にも正解ではないかも知れません。子に合う合わないがある以上、どんな人の意見だろうとどんな偉い研究者の研究結果だろうと、全てはあくまで参考程度。自分の子をよく見て、夫婦でよく話し合って出す結論が最も正解に近いってことでいいんだろうと思います。