4歳から始める中学受験

キッズデュオインターナショナル(Kids Duo International)に関連したあれこれはTwitter(@ganetter365)で呟いています。

「やれば出来る」はいずれ「出来ない」に変わるという話

皆様こんばんわ

 

これまでKDIの年度最後のイベントは音楽会でしたが、今年は忍者リーグファイナルとスピーチコンテストがありました。

 

忍者リーグファイナルは今年から始まったわけではなく、コロナによる影響で過去2年間実施されていなかっただけでした。N以外の全学年入り混じりチームスポーツする「忍者リーグ」は日常的に園で行われていて、その最終戦「忍者リーグファイナル」は親見学ありで運動会と同じ会場でやりました。(私は仕事都合で見に行けませんでした)

 

終戦の種目はドッジボールで、長男はボールに一度も触ることなく全部避けて優勝に貢献(?)、長女は勝てなかったものの取って投げて活躍の場があったようで、2人とも楽しかったようです。

 

スピーチコンテストはUKを対象に、KDIでの思い出について英語で1分間スピーチした動画を送るという形式でした。参加は任意で、取り組む熱量も各家庭様々だったと思いますが、我が家は提出2日前に突如練習が始まり何とかギリギリ提出に間に合ったといった感じでした。

 

KDIやる気スイッチグループ系列の年長全員が対象で参加者は全国で170人くらい、その中でファイナリスト31名が選ばれ、そこから優勝者含め各賞が選出されるようです。長女は特に賞を獲得したわけではありませんでしたが、突貫工事だった割にはファイナリストには残って友達と一緒に写真掲載されて満足した様子でした。

 

 

スピーチコンテストの参加は主に本人がそもそも乗り気だったことと妻の意向によるもので、私は正直そこまで参加することに魅力を感じてなかったわけですが、結果的に長女の満足そうな姿を見ると、こういう「やってもやらなくてもいいこと」を如何に楽しめるかは大切だと痛感しました。

 

「任意参加」だけでなく、そもそも今後の学校生活において「やる気を出す出さないは任意」の連続であることは間違いないと思います。運動会でもマラソン大会でも、普段の授業やテストにおいても、遠くから冷めた目で見ていることはいくらでも出来るわけです。

 

自分の得意分野、活躍が出来る種目であればそれなりにみんな積極的になるのは分かります。しかし得意不得意に関わらず自分なりの向き合い方で参加して、イベントを楽しもうという姿勢は学校生活の思い出の数だけではなく、その後の人生においても重要な気がします。

 

ここで唐突に専業主婦ディスとも捉えれられない話になりますが、「料理」なんてのは間違いなく誰にでも出来ます。一昔前は料理が上手or下手という概念があったかも知れませんが、今や料理系youtuberがしのぎを削りレシピを公開し、プロの料理人ですらレシピ・作り方を解説していて、見たそのままを作ればいい時代です。

 

よって料理をしない人は「出来ない」のではなく「やれば出来るけどやらないだけ」なのは間違いないと思います。そして料理をしない人の多くがその通り「自分はやれば出来るけどやらないだけ」と思っているわけです。だから「今日は簡単にうどんでいいよ」みたいなネタが度々炎上するんだと思っています。

 

ですがやる気を出さない期間が長くなれば長くなるほど、「やれば出来る」の「やれば」がいつか起こり得なくなり、確かにやれば出来る、でも「やる」ことが絶対にないので結局「出来ない」と一緒になると思います。

 

この「やれば出来る」は料理だけではなくあらゆる場面に存在して、定期的に「やれば出来る」ではなくて「やってみた結果やっぱり出来た」を経験しておかなければ本当に何も出来ない人、何もしない人が完成すると思います。

 

仕事以外の一切にやる気を出さない男性は家庭内において最初は「何もしない人」だったのがいつか「何も出来ない人」になる、でもいつまでも「やれば出来る」と思っているので自分がやりもせず出来もしないことを簡単に否定するでしょう。

 

もう大人になってしまえば「やる気を出す」ことにどれほどのエネルギーを要するか誰もが知っているはずです。子どもの頃から行事とは呼べないような小さなイベント事にも積極的に参加して楽しみ、何に対しても「やる気を出す」習慣は、もう後からでは取り返しのつかない価値になり得ると今回のスピーチコンテストに参加する子どもを見て思いました。

 

KDIに限らずこういう機会があれば子どもたちに参加を促し、親も参加できるようなことであれば自分も積極的に関わっていこうと考えを改めさせられるKDI最後のイベントでした。