4歳から始める中学受験

キッズデュオインターナショナル(Kids Duo International)に関連したあれこれはTwitter(@ganetter365)で呟いています。

習い事に意味はあるのか

皆様こんばんは

 

メジャーな習い事と言えば、水泳・ピアノ・体操・英語であると独身時代の私でもパッと言えたと思います。

 

今は子育てをする身となったわけですが、現在我が家では長女が水泳+体操、長男も水泳+体操(5月からピアノに変更)を習っています。KDIで英語を学んでいるので4つ全てをコンプリートしており、如何に我が家が平々凡々な思考をしているかが見て取れます。

 

この状況に至るまでにいろいろと夫婦で話し合われましまが、まず私の強い要望として、意味のない習い事をさせたくないというのがあります。

 

「無駄なことなんてない!」

 

「きっと何かで役に立っている!」

 

こういう考えの人もいるでしょうし、間違いではないのかも知れません。ですが何の役に立ったか具体的に示すことはできず、生かされた経験なのか確かめようもない、確実なのは「習っていた」という経歴、思い出を語ることが出来るだけの為に、親子共に時間/気力/体力を割く価値があるとは到底思えません。

 

では意味のある習い事とは何なのか。何とも漠然とした内容について夫婦で考えた結果は以下の通りです。

 

例えばピアノについて。

 

昔ピアノを習っていた人は大勢いると思います。しかし今は弾いていないorもう弾けない人が多数派なのではないでしょうか。これを我が家では無駄と定義することにしました。しかし、週に何回か自分の好きな曲を弾いてストレスを発散できる、ちょっとした趣味と捉えられる状態であれば、これには意味があったと言えると考えました。

 

次に体操について。

 

妻はその昔、数年間体操を習っていてバク転やら何やらいろいろと出来たようです。時を経た今、妻が出来るのは逆立ちまでです。たまに意味もなく逆さまになっている姿を目にするので一概に無駄だとは言えない気がします。しかし、逆立ちが出来ない私が言えた話ではありませんが、仮に5年通ってちょっとやそっとの努力では得られないスキルを身に着けた後、20年後に残っているのが逆立ちというのはあまりにも勿体ないと言うのが率直な感想です。

 

水泳について。

 

全く泳げないゆえに、夏に小学校へ行くのが億劫だと言われてしまうことを未然に防ぐために、幼少期に水泳を習うことに意味はあると考えましたが、では大人になってから泳ぐ機会がどれ程あるかと考えれば大半の人が年0回で無駄です。ですが、泳ぐのが得意な人はジムに通って泳ぎたいと思う瞬間があるかもしれません。それを実行に移せば話は別で、忙しい日々の合間に一人黙々と泳ぐ時間と言うのはあらゆる面で良い影響しかない気がします。

 

そんなこんなを色々と考えた結果、我が家の結論は「幼少期の子、親が習い事に要する労力に見合う価値を子が将来持っているか否か」で無駄か否かを考えようと言うことになりました。

 

 

次にこれに基づいて、習い事を無駄にしないためにどうするべきかについてです。

 

1つ目は「終わりを決めること」

 

「ねこふんじゃったを弾けるようになったらピアノは卒業です」なんてことをピアノ講師は言ってくれません。終わりなど決めずにとことん突き詰めて欲しいと思っているはずです。

 

しかし、どこへ向かっているのかも分からずただひたすらピアノを練習し、1曲弾けるようになったらまた次の曲へ、を繰り返した末にたどり着くゴールは、「嫌になって辞める」以外に考えられません。

 

なので我が家では、特定の曲を目標にして、それを弾けたらピアノは辞めようと子どもに提案する予定です。もちろんその時が来て、まだ続けたいと言われれば話は別です。

 

水泳については25mをいずれかの方法で泳げるようになったら辞めることを強く勧めるつもりです。それ以上泳げることに意味が見出せません。ただしこれも週1回泳ぎに通うのが楽しいと言われたら継続です。

 

体操については通っている教室の1級がバク転なので、1級到達で終了です。これについては小学校の中盤までかかりそうなので、中学校受験のことを考えると余程のことが無ければ終了です。

 

 

2つ目は「維持コストを払うこと」

 

1度出来るようになったことを再びやっても何の感動も得られないのは人間の脳の構造上どうすることもできません。ひたすらしんどい思いをしながら練習をし続け、ようやく弾けるようになって迎えた発表会。無事に終わった翌日からその曲を弾く子がどれ程いるでしょうか。

 

1カ月も弾かずにいたある日、ふと弾いてみようと思うと、ところどころ頭でも身体でも忘れて完璧に弾くことが出来なくなり、再び楽譜を開くなどしたいはずもなく、もうその後弾くことは二度とないでしょう。

 

あんなに苦労して弾けるようになった曲、その後は何の苦労もなく弾けた曲を、再び練習し直し同じ大変な思いをしなければ弾けない現実を大抵受け入れらせません。

 

しかし大人になってから考えてみると、今あの時の曲を弾けたらピアノが楽しいだろうなと思うわけです。再び練習をして取り戻しに行くバイタリティある人もいるでしょう。しかしそこから練習に費やす時間と労力を考えれば、1日1回5分つまらなくとも弾き続けていれば遥かに簡単に維持が出来たはずです。

 

でも維持することに意味があると分かるのは失って大人になってから。子どもに言っても何も分かってもらえません。そこで我が家では愚直に、子に報酬を支払って維持してもらうつもりです。

 

仮に小学4年生でピアノを辞めたとして、その後1曲50円、計3曲を毎日子供に弾いてもらうとすれば月4,500円、10年間継続してもたった540,000円です。二十歳の大人が、ピアノという趣味を54万円で買えるとすればあまりにも安いと。

 

体操におけるバク転も、大人がバク転を会得するために通う体操教室すら存在する世の中において、お小遣い程度の維持費で買えるとなれば安いにも程があります。

 

 

もちろん、習い事が子どもに合わず、すぐに辞めることになる事例は多々あるでしょうし、決めた目標に遠く及ばないこともあるでしょう。それは仕方ありません。ですが少なくとも、始める時点で目標を決め、どうやって維持するかを決めてから始めることにする予定です。